アイデアを生み出すことよりも、そのアイデアを具体化する装置や仕組みを作る方が何倍も大変だ。だから、「これは私の発案だ」とか「アイデアをとられた」とか「とった」というのはあまり意味がないことだ。それに「すごいこと思いついた」と思っても、たいがい同じことを誰かがすでに思いついていて、誰かが実現していることが多い。
アイデアはある個人の頭の中から生まれてくるものではない。むしろ他者とのコミュニケーションの課程で生み出されていくものだ。考えたことを他者に説明し、反応がかえり、また考える。こういったプロセスの中でアイデアは産み出され、成熟する。 この意味でアイデアはみんなのものだといえる。
次に、アイデアと知識の「所有」について考える。結論から言うと僕はアイデアは公共財だと思っている。
友人や同僚とこのトピックについて話して、さらに考えた。
アイデアも知識も、「使ってなんぼ」「伝えてなんぼ」「共有してなんぼ」、アイデアや知識を私有すると言うことは、その価値をなくすこと。
もちろんアイデアを生み出した人にはリスペクトする必要がある。でもアイデアは個人からではなく、人間同士の接触、コミュニケーションの中で生まれるということは忘れてはならない。この「接触」とは一緒に議論するといった共時性は必ずしも必要はない。先人が残した著作や音楽とのふれあいの中で生まれてくることももちろんある。
だからやっぱりアイデアは人類の共有財産、公共物だ。
アイデアをコンテンツという形にすることを生業にしている人がいる。アイデアやコンテンツは公共財だけど、作ったり、他人が作り上げるために努力したりすることへのリスペクトはもちろん必要。それでもうけるのもいいだろう。そして、アイデアやコンテンツに対するリスペクトを汚す行為(たとえば海賊行為)は取り締まる仕組みを持つのも合理的だ。
ただし、これはアイデアやコンテンツそのものを守るためではなく、それを作り上げるために払われた努力をリスペクトする者であるべきだと思う。
しかし何事もバランスが必要。本来公共財であるもので必要以上にもうけ続けるのはいかがなものかと思う。