/ 盃のあいだ

手造りと機械造り〈盃のあいだ nº9〉

日本酒コンシェルジュ 江口崇 aka Umio 日本酒コンシェルジュ 江口崇 aka Umio

「手造りの酒がおいしくて、機械造りの酒はそうでもない」という幻想はいまだ根強く残っています。手造りとというだけでおいしくなるわけではないし、機械で造ると質が落ちるということはないのにです。

料理や酒の味わいのうち半分以上は、実際の味の外にあるものが担っています。誰と一緒に味わったか、どういう器で味わったか、その料理や酒の背景を感じながら味わったか、ということが感じる味わいの多くに影響するのです。

手作りの料理では、作った人の思いがダイレクトに伝わるのでおいしさがぐっと上がります。酒でもそうです。「こんな方がこんな思いで(手で)造ったんだ」「こんな方がこんなふうに育てた米を醸したんだ」と思いながらだと、より深く味わえます。

ひるがえって、酒そのもののおいしさや質については、手造りであることは関係がないと考えます。いくつもの蔵を見学し造り手のお話を伺っているうちに、酒のおいしさは手造り・機械造りという軸とは別のところで生まれるのではないかと考えるようになりました。

それは技術と「丁寧さ」です。手造りであっても、技術が不足していたり丁寧さに欠けていたりする造りをしていると、おいしい酒がうまれにくいのではないでしょうか。機械で大量に造る場合でも、高い技術と丁寧な製造設計があれば、おいしい酒が出来上がります。

「手造り・機械造り」の軸ではなく、「丁寧か、そうでないか」の軸が本質的なのです。手造りでも機械造りでも丁寧に造られた酒はおいしいのです。

ここまでやるのか! と思うような作業を積み重ねて、雑味のない酒造りの努力を重ねる手造りの工程、酒造りの機械で考えもつかないような微細な部分を調整して少しでも高い品質を目指す蔵。エクストリームな丁寧さが本当にすこしづつ酒の質を上げているのです。

心を込める、思いを込めることも大切だとよく言われます。でもそれだけでは結果につながらなくて、その思いが素直に「丁寧な酒造り」につながるとき、いい酒が出来るのではないか。いくつもの蔵の酒造りをこの目で見て、造り手の言葉を受けとめて感じたことです。

今日も日本酒コンシェルジュ通信に来ていただき、ありがとうございます。造り手の思いを感じながら、乾杯!