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5. 先代の山根杜氏との一冬|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

日本酒コンシェルジュ・Umio 日本酒コンシェルジュ・Umio

山根杜氏のもとでの酒造り

「無添加山廃」に魅せられた横坂さんは、不老泉で20年以上無添加山廃造りを続けてる山根杜氏のことを知ります。そしていつか山根杜氏のもとで酒造りをしたいと思うようになりました。

そして、2013年に横坂さんは不老泉の上原酒造で働くことになりました。「山根杜氏のもとで蔵付き酵母の無添加山廃造りをしたい」という横坂さんの思いが実を結んだのです。でも、横坂さんが山根杜氏とともに酒造りをできたのはほんの短い期間でした。

横坂: 実は私は山根杜氏とは一冬しかつながりがないんですよ。

山根杜氏が、忘れもしない12月9日の日にですね、こう言ったんです。

「社長も身内も知ってるんだけど、実はね、横坂、今日って日はな、5年前に余命5年と宣告された日なんだ。ということは、明日からはおまけの人生だ。これからは、いつ何が起きても不思議じゃないことだ。だから、お前にはそのことを言っておく」と。

本当に山根杜氏は自分の身を呈して。私はこのあと半年間、酒造りを教わりました。中身の濃い一冬でした。

というか、足りなかったですよ。山根杜氏の一語一句、山根杜氏との一分一秒を大切にしましたけど、まだまだ教えてもらいたいことはいっぱいありました。

「お前の米を持って来い」

春が来て酒造りが終わる時、横坂さんは米作りをするため千葉に帰ります。その時、横坂さんは山根杜氏に「来年も一緒に酒造りをしたい」と頼みます。

横坂: 一冬、酒造りを終えて、「山根杜氏、ぜひ来期、来年の秋も、もう、黙って座っているだけでいいですから、私達が手となり足となりになりますから、酒造りしてください」と。

4月23日に酒造りが終わったとき、山根杜氏は両足でしっかりと立って私に手を振って見送ってくれました。

それから2週間くらい経って、会社から「杜氏が入院した」という連絡がありました。それで、酒造りが終わった1ヶ月後の5月23日にお見舞いに行ったんですよ。

そしたらもう半分の大きさになった山根杜氏が、点滴だらけで、4月に手をふってくれた山根杜氏が、左手は点滴だらけで、右手だけの握手なんですけど。

「横坂、悪いなー。こんな無様なところ見せちゃってなー。お前なあ、秋にはお前の米を持ってくるんだぞ。俺も、自分が作った米で酒造ったから。その米は今は不老泉の赤ラベルとして、3年熟成として、花が咲き、実がついた。だから、今度はお前が自分でまいた種に花を咲かせて、実をつける番だぞ」と。

命懸けで人と向き合うということ

それから約1ヶ月後、山根さんはこの世を去りました。

横坂: 私も覚悟してたんですけど、でも、山根杜氏が生涯、杜氏として生きてきたことを、私はその直近として命懸けの人の思いというのを。

たった半年でしたけど、どれだけか中身の濃かった半年を体験させてもらって。

命を懸けるってこういうことなんだな、って。

命を懸けて酒造りを教える、教えてもらう。そうやって教えてもらったという思いですよ。だから、簡単に「命懸け」なんて言葉は使えないです。

それで自分の心の中で、命懸けって、本当にその生死の中で自分の技術、思いを託す事ができる。そういう人と出会ったんです。

師匠が自分の命を懸けて自分に託してくれた。そういう思いはこの心のなかに刻んでいます。

そして、今度は私と関わる、私と向き合う相手に、命懸けというのを感じてもらえるような、そんな自分になりたいなと。

だから、自分がそういう立場でいられるかどうかというのは、いつも自問自答しているんですよ。

私はいつも蔵入りするときには杜氏の墓参りをしてから行くんです。いっぱい話すことがあるんです。

いま、分析室の壁に山根杜氏の写真があります。いつも、対話してますよ。私の目標ですよ。生涯、杜氏としての。

分析室で山根杜氏と対話する横坂さん


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